いつのまにやら
十一月も後半戦。
果たして僕は今月何を学んだのだろうか。
日々が退廃的だ。
脳が退化しているような気がする。
物覚えが悪い。記憶力の低下。
よくない方向だろう。
自己改革。自己啓発。
自分を変えるしかない。
時間は限られている。
時間を無駄遣いせずに過ごす、これは僕にとっての至上命題だ。
限られた時間で上手くやってこそ、本当の能力のある人間なのだろう。
今の僕は不器用だ。
だからこそ変わりたい。
なんだか
「なんだか酷く男がうらやましくなってしまった」
京極夏彦の『魍魎の函』という小説の冒頭がこのようになつているのだが、なかなか良い文で頭から離れないで居る。
裕福な少女が電車に轢かれて生死をさまようのだが、有名な医者のところに連れて行き、何とか一命を取り留めるのだが、誘拐予告が出された末少女が消えてしまう。
という大まかな流れであるのだが、全体的に四角い箱が絡んでくる。少女が連れてこられた病院のような研究所は四角であるし、殺人事件が起こるのだが遺体が入っているのも箱であって、さらに御はこ様という箱を祭っている宗教者まで出てくる。
とにかくながいのだがお勧めの本だ。
今アニメもやっていてそれもまた面白い。
フェルメールを見に行ってきました
昨日は東京都美術館に予定通りフェルメール展を見に行った。
フェルメール以外にもピーテルデホーホとか言う人やカレルなんたらとか言う人の絵も様々な、17世紀半ばのオランダのデルフト地方の画家の絵が沢山見れたわけだ。
前半はフェルメール以外の人の絵が続いてて、3分の2がフェルメール以外だ。
どれもまず素人目から見ていえることは、うまいの一言に尽きる。どの人も自分が描けといわれても何十年かかってもかけないだろう絵を描いている。
光と陰影の描き方が何より驚いた。影って自分みたいに絵心が無い人間は描けないもんだ。どういう色の絵の具を使えばいいのかもわからない。
画法も特殊でよく分からなかった。遠近法はなんとなく分かったのだが、透視図法というものがどのようなものか結局分からずじまい。
全体を総括してどのような絵があったかというと、教会内部の絵やら、家庭の婦人の絵やら、農民の絵やら様々だった。でもどれも光と影が絶妙だったという感想。
自分が御託抜きで見た感じは、「すごい!うまい!綺麗!光が凄い!でかい!」このような感じの感想だ。
中でも特に惹かれたのはフェルメールの『ヴァージナルの前に座る女』というピアノのようなものの前に座ってる女の人が鑑賞者の方を見ているという絵であったが、非常に綺麗だった。まず女の人が綺麗でかわいらしい。この時点で自分にとってはポイントが高い。そして構図がフェルメールお得意のもので、結論を言うととてもみていてとても和む。
絵の良さを表現するのに素人の自分は小難しいことは言えないのだけど、御託なんていいから良いと思えば「この絵綺麗だな」というような感想でも、それはそれでいいのかなと思う。
小難しい知識やらなんやらがないと理解できない絵画や音楽っていいものだとは思えない。
本当にいいものは有無を言わさず良いと感じるものだ。
音楽も一緒だと思う。音を聞いて楽しければそれはいい物だ。御託を述べる必要なんてない。
何故なら音楽は音が全てなのだから。
意外性がある
文芸春秋を買ってみた。ちょっと気取ってるかもしれない。
教養のある人間だと思われたい気持ちから買ってみたものだが、読み物として普通に面白いので自分が大人になった証拠だろうと自惚れている。
タイムリーなことに、明日行くことになっているフェルメール展の特集があった。これがまた面白いもので、明日の予習には非常に助けになった。
ギャラリーフェイクという漫画でしか知らない展覧会におけるキュレーター達の企画のやりかたが綴られていたりして、本当にこのようなことがあるんだと勉強になった。
技術が発達した今でも、絵が海外の輸送に耐えられないという理由で今回の展覧会には出せなかった絵があるなどと聞くと、なんだか前時代的な気持ちを抱いてしまう。科学技術が発達しているのに不思議だ。
カレル・ファブリティウスというフェルメールの師の絵も見れるということで相当楽しいものになりそうである。
それにしてもこの雑誌は厚いものだと思う。一ヶ月で読みきれるかしらと不安になる。
でも頑張って今月から購読していきたい。
このような面白い雑誌を読んで、改めて編集者になりたいと思った。
完全に終わったようだ
ふむ二日間メール放置って事は完全に相手にされてないということでFAですね。
まいいや、初めからそんなに期待はしていなかったし。
でもメールに返信もしないって礼儀的にどうなのって感じ。
人付き合いを築いていく過程が非常に面倒くさい。何で思っても居ない事を言わんといけないのだね。
潔癖症な僕は嫌気が差してきます。
所詮偏屈した人間ですよっと。
もはやどうでもいいけどな。
コークハイは良いモノだ
昨日買ったウィスキーをどうしようかしらと思っていたらコークハイというものが旨いらしいと言うことを聞いたもので、早速試したのだが、いかんせんこれが旨い。
どのくらい旨いかというなれば、昨日のウィスキーが飲みきれるかしらって言葉が嘘のように思えるくらい旨い。
この飲み方なら一日2,3杯は余裕で飲めそうである。
コーラが好きな人なら絶対沢山飲めるものだろうな。ほとんどジュースみたいなもんだし。
でもウィスキーってアルコール度数が高いから飲みすぎには注意しなければ。
コークハイはは良いモノだ。
whisky
ウィスキー買ったはいいが700mlも飲みきれる気がせんな。
まあ気長に飲む感じで頑張ろうかしらね。
でもウィスキーってほんとにアルコール強いね。これを美味いと思って飲めるようになったら大人になったということだろうか。
いづれそうなりたいものですけどね。
ウィスキーを嗜む20歳とはなかなかカッコいい気がしてならない。
甘えとはどこからなのか最近疑問だ。
自分って甘えてるほうなのかな。世の中の人はもっと努力してるもんなのかしら。
他人と相対しようとする時点で駄目なんだろうとは思う。
誰とも比べずに必死に頑張ればいいだけってのは理解はしてるつもりだがね。でも難しい。
結局精神論なんだよな。気の持ちよう。やるかやらないかそれだけだ。
絶対的に頑張るって事をしなければ。
うあつまんね
なんで変に頭の片隅から離れないような事が、避けようと思えば避けれたのに関わってしまうんだろ。
面倒だ。最初からか関わらなければ楽だったのにな。
いやだいやだ。
