幼年期の終わり-アーサー・C・クラーク
アーサー・C・クラークの作品は哲学的に考えさせられる作品を書く人なのだなぁと思った。
以前読んだ『2001年宇宙の旅』もそうだったが、この『幼年期の終わりも』同様だった。
人類がようやく宇宙に進出するというところに突然未知の高等生物が地球に訪れてきて、その高度な文明、知識により地球に平和をもたらすがその生物の真の目的は何か、というのが大まかな流れだ。
この生物がくることによって人類は真の争いのない平和を手に入れるがそれが本当に幸せなのか、そう考えさせられる。
争いがなくなると新しい文化が造られなくなるとあったが、この考えは何となく理解できた。
何かしらの現状に不満がないと新しいものを生み出す活力が生まれない気がする。結局楽しければ良いという、今あるものを焼きましたものしか生まれ得ないのだろう。
でもそれは争いがなければ進歩しない人間の悲しい性でもあるのだなと思うと悲しくなる。
必要悪ということになるのか。
戦争がある意味で芸術を生み出している面は否定できないと思う。
ピカソの『ゲルニカ』しかり、ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』しかり、ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』しかり。
人類から戦争を取り上げたら何が残るのだろうか。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?-フィリップ・K・ディック
『ブレードランナー』という映画の原作を読んでみた。
展開の早さと面白さでほとんど一日で読んでしまった。
話の流れは、火星から逃亡してきたアンドロイドをバウンティーハンターの主人公が次々と仕留めて行くというもの。
世界設定は世界最終大戦後地球は多くの死の灰に覆われ、人間たちは植民星に移って行く物がほとんどだった。しかし地球に愛着が捨てられない人々は残って暮らしている。
そして動物をかっていない人間は感情移入能力が欠如しているという偏見で見られる。
マーサー教というマーサーに共感ボックスを通じて皆で喜び苦しみを共有するのが是とされていた。
アンドロイドの非情さが目立った気がする。
ピンボケを利用できるところまで利用しようとする、山羊を突き落とす、性行為をもって情を持たせてからの心理的攻撃、このようなところから感じ取った。
アンドロイドに共感を持ってしまう主人公が不憫でならない。
しかし現実としてロボットが人間味のある姿を持った時、自分はそれに対して、どのような感情を持つのか予想できない。多分何かしらの感情を持ってしまう気がする。
でもおそらく相手は何も感じないのだろうと思うとロボットはロボットらしくあって欲しいと思う。
一時期アイボというものが流行ったが今では全然話を聞かない。あれはあまりに機械的な見た目すぎたからだろうか。例えばそれが本物と見分けがつかないくらい精巧になった時人間は愛情を感じるのだろうか。
でもアイボを昔買って、今はもう捨ててしまったという人はすてる時何を感じたのかが興味ぶかい。
私自身は機械は好きであるが自分が生きているうちは、精巧なアンドロイドは開発されて欲しくはないなとこの小説を読んで強く感じた。
