現実への抵抗としての文化活動
今の大衆文化の有様は、現実への抵抗からの逃避のだとある学者が言ったらしい。
この意見は全面的に同意できるのだが、抵抗したくても抵抗できない人間が居るのを忘れないで欲しいとも思う。
結局のところ新たな文化を生み出そうと思っても能力がなければ出来ないことだ。
僕だって抵抗したくてしたくて堪らない。しかしどうも自分の限界を感じて無気力になる。
いやまあ努力してないだけだろうと言われればそれまでなのだが。
現実逃避として文化に接することが出来れば、ある意味幸せだろうなと思う。
しかし今に自分にはそれが出来ないのが事実だ。
何に対しても、例えば映画、文学、音楽に接するとき、これを自分のためにしなければとか、作り手の意味を受け止めなければと考えて息苦しくなってしまう。
何日か前に書いたが娯楽として接することが出来ない。
世の中の能力があって作り手になっている人たちはどのような育ち方をしてきたのか気になって仕方がない。
自分みたいに息苦しい考えを持ちつつも耐え抜いた人なのだろうか。
それくらいの気概がなければ、何も生み出せないのかもしれない。
自分にはそれが足りないのだろう。
やるべき事ととどうすればいいのかはわかっている。でもその結果何も成果が出なかったときが怖い。
才能がないのではなくて努力しなかっただけなんだ、といい訳をするための本能が働いて自分にはやる気が出ないのかもしれないと言ったら自惚れだろうか。
